我が家の梅ものがたり その1

 随分長い間ブログをさぼっていた。Facebookには結構頻繁に投稿していたのだが、ブログの方はほったらかしにしてしまった。その間に母を見送り、既に4ヶ月以上過ぎた。また少しずつブログを書いてみようかと思っている。

 今日は我が家の梅干つくりについて。
今年は梅が不作で、あまり多くは取れなかったが、それでも33キロの収穫だった。そのうち5キロを叔母に送り、残りを我が家の梅干しにした。一粒ずつ洗ってヘタをとりながら点検すると結構駄目なのもあって、漬けられたのは23キロ。IMG_2262.jpg
我が家では塩分12%で漬けることにしている。ずっと以前は18%だったが、徐々に減らして、昨年からは12%に落ち着いた。

 今年は熟しているものもかなりあったので、青味が残っている梅と熟して黄色くなった梅を分けて漬けた。それが6月14日。IMG_2263.jpg

 それから毎日桶を覗いて梅の様子を見ていると、青い梅を漬けた方の梅酢が少し濁り始めた。これは発酵が始まってしまったのだと思って、どうしようかと考える。ネットで調べてみると、梅をすべて取り出して、梅酢を煮沸すると書かれていた。その際酸が強いので、ホウロウの鍋を使うよう注意書きがされていた。我が家にはこれだけの梅酢が入るようなホウロウの鍋がない。仕方がないので少し大きいホウロウ鍋を探したら、amazonで安売りをしているのが見つかった。さっそくそれを購入。

 翌日届いたので、梅を取り出し、梅酢を煮沸する。梅酢が冷める間に梅を一つ一つ焼酎であらう。梅酢が冷めたところで、一粒ずつ塩をまぶして漬け込んだ。したがって、今年の梅干しは12%よりやや塩分が強くなった。

 梅はすべて取ったと思っても、取り残しがあり、毎日落ちる。落ちたのは完熟なので、それを拾って再び梅干し用に漬けた。それが約2キロ。これはガラス瓶に入れて、ビニール袋に入れた水で重石にした。

 6月25日、紫蘇漬けにする紫蘇を買ってきて、よくアク抜きをする。IMG_2286.jpg
紫蘇の葉を茎から外して、塩を振りよく揉むと、泡が出て絞ると黒っぽい水が出る。これを2回繰り返してアク抜きが終了。それぞれの桶と瓶に紫蘇をいれ重石をする。

 翌日には梅酢がきれいな紫色になった。煮沸した梅酢もすっかりきれいになり、透明な紫色をしている。IMG_2296.jpgIMG_2297.jpg

 これらの梅干したちを毎日点検していると、なんだか可愛くなってしまう。こんな気持になったのは初めてだが、可愛い梅干したちを土用干まで毎日点検していこうと思っている。

孫サンタ

 少し古い話になってしまったが、クリスマスに母が目を覚ますと枕元にサンタからのプレゼントが置かれていた。大きな紺色の袋にきれいなリボンが付けられていた。
 母は大喜びで、私に包を開けさせたところ、出てきたのは真新しい鍵盤ハーモニカだった。今まで使っていたのは唾がはいったりして不潔になってしまったので、新しいものが贈られたのだ。母は毎日鍵盤ハーモニカを弾いているので、このプレゼントには大いに気に入ったようだった。
Xmasプレゼント

もうすぐ94歳になる我が家のミュージシャンの演奏です。寝たきりですが、これで楽しんでいます。
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闘いの日々

 タイトルはすごいでしょう?内容はほかの人には大したことないと思うのですが、我が家にとっては一大事なのです。
 闘いというのは竹との闘いです。昨年の秋から屋敷内に生えてしまった竹を切りまくっているのですが、春になって今度はタケノコがニョキニョキニョキニョキ生えてくるのです。切っても切っても生えてきます。竹の生命力は本当に凄い!もう何百本切ったかわかりません。切らなければそれらがすべて竹になって我が家を取り囲むのです。数日前に「家の裏側は全部切ったよ」と誰かが言っても、一週間も経たないうちにタケノコのオンパレードになります。それをまた切りまくるのです。

 こうしてずうっと切っていれば、竹の勢いも少しは弱まるだろうと期待しているのですが、さて、本当にそうなるかどうか……。

シュダモイ・ビスワス

 今日の夕方、急に思いついてインドの友人シュダモイ・ビスワス氏に電話をしてみた。この前テレビで見たコルカタの高架橋崩落事故が気になっていたからだ。突然の電話に驚いた様子だったが、彼と彼の息子さんが事故に巻き込まれたとのこと。彼自身は足の軽傷でもう治ったと言っていたが、息子さんは大怪我で入院したそうだ。日本でも心配していたことを喜んでくれたようだった。

 ビスワス氏からは数年前に突然電話があったが、その時は流暢な日本語だった。もう50年近くも日本語を話していないと言っていたのだが。今日はかなり不自由な日本語だった。彼も80歳になってすこし記憶力が衰えたのかもしれない。

 ビスワス氏は私が若いころからの友人で、その頃は東大の大学院で稲の育種学を研究していた。博士号を取得して帰国し、コルカタ大学の教授になったのだが、帰国後はあまり交流がなかった。彼はペンより重いものは持ったことがないというような美しい指をしていた。大地主の長男で、彼がコルカタの大学から帰宅すると村中の人が挨拶に来るといった育ちをしていた人だ。家族一人ひとりに専属のメイドが居て、服を脱げばすぐにそれを片付けてくれるのだそうだ。

 そんな彼も日本では普通の学生だ。留学生寮に住んでいて、ホームシックになると、我が家に遊びに来た。ホームアジアというアジアの留学生を世話するボランティア団体に入っていた母を「おかあさん」と呼んで慕っていた。その仲はホームアジアの中でも有名な程だった。私にとっては少し年上のお兄さんという感じだった。

 そんなことを急に思い出し、久しぶりに会いたくなった。彼は自分が年取っているから「まり子、インドに来ない?」といってくれたが、インドは遠い。老母の介護中の私にとってはなかなか行けるところではない。またそのうちに電話でもしてみようかと思っている。

不審者現わる?

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 まるで不審者の如きスタイルは最近の私の外出スタイル。これは犬の散歩に行くときの私。帽子にマスク、大きなメガネ、滑りやすいジャンパー。これで花粉を防ごうというのだ。この前の夕方、何の防護もしないで外を歩いたら大変、クシャミは機関銃のように続くし、鼻水はツーツーで止まらない。鼻の穴にティッシュを詰めておくしかない状態。それ以来このスタイルとなった。

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 これは昨日の朝、雨上りの雨樋の下に固まっていた花粉たち。こんなに黄色くなるほど屋根に降り注いでいたのだ。

 そういえば5年前の3.11の数日後にも、こんなふうに花粉が固まっているのを見た。そのとき、この黄色いのは放射性物質だという噂もあったが、「あれは花粉だよ、放射性物質は小さくて目に見えないもの」と言っていた私。でも、その花粉には放射性物質がくっついていたのだ。そして取手は県内で一番空間放射線量の高い街となってしまったのだった。




プロフィール

まり子

Author:まり子
茨城県取手市在住。
所属団体、
 「放射能NO!ネットワーク取手」
 「市民オンブズマンいばらき」
 「放射能からいのちと守る茨城ネット」
 「取手駅西口の住民訴訟をすすめる会」
 「谷中子ども文庫」

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